特集
2021.7.15
今ではふだん着の「洋服」はどうやって普及した?
展示は戦中・戦後からスタート!
1945年の敗戦以降、女性たちは手元にある着物や限られた物資を使って、更生服やもんぺを仕立てて着ていました。
生活必需品が不足していたこの時期に、着るものを「自分で作る技術」を身につけようと、若い女性たちが洋裁学校へ殺到します。特に、現在でも広く知られる文化服装学院やドレスメーカー女学院(現在のドレスメーカー学院)は、当時の二大勢力でした。
こうした洋裁ブームが全国に広がり、洋装の普及を決定づけたのです。
展示風景
洋裁文化にかかわった女性たちは、洋裁技術だけでなく、素材や仕立てについても学び、豊富な知識を身につけます。
しばらくすると既製服の時代に入りますが、この大きな集団が消費者となり、次の既製服の時代を支えることになりました。
1950年代後半、経済成長期に入ると、1964年開催の東京オリンピックに向けて高速道路や新幹線が急速に整備されていきます。
人びとは近代的で便利な生活にあこがれ、「三種の神器」(冷蔵庫、洗濯機、カラーテレビ)が一般家庭にも普及しました。衣服も既製服産業が拡大し、好景気の雰囲気を反映させるように、明るく軽快なものが流行しました。
左:望月靖之《オリンピック東京大会 日本選手団男子開会式・閉会式用ユニホーム》1964年 湯里まちづくりセンター
右:望月靖之《オリンピック東京大会 日本選手団女子開会式・閉会式用ユニホーム》1964年 駒沢オリンピック記念公園
1964年のオリンピックで日本選手団が着用した赤いブレザーは、人びとに鮮烈な印象を与えます。
当時は「赤は女性の色」というイメージが持たれており、男子選手の赤ブレザー姿を目にした視聴者から苦情が殺到したんだとか!
オリンピックを観戦しようとカラーテレビが普及した時代。「赤」という色のイメージも変化しました。
また、若者のあいだでは、アメリカの大学生を意識したアイビールックや、イギリスから広まった大胆なミニスカートなどが大流行!
それまでの美の基準が変化し、独特のふるまいと服装をする若者が街にあふれました。
世界へ飛び出した日本デザイナー!
ブランドとメディアが密接になっていった時代
経済成長を背景にどんどん豊かになっていった日本。1970年代はさまざまな思想がぶつかり合い、若者が既存の文化に対抗する、激動の時代でした。
ファッション界ではメーカーと呼ばれるアパレル会社が出現し、既製服を展開するようになります。アメリカの若者が着ていたTシャツやジーンズが大流行したのもこの頃です。
展示風景
雑誌『ポパイ』が創刊と同年、原宿に「アメリカンライフショップ ビームス」がオープン。おしゃれなライフスタイルを提案し、服飾品だけでなく生活道具なども扱いました。
アメリカから買い付けてきたセンスの良い商品が雑誌で紹介されると、全国から若者が訪れるようになりました。
同時期、日本人デザイナーたちがパリコレへ参加するなど国際的な活躍も見せるようになります。東京でのシーンも「TD6」(トップデザイナー6)が立ち上がるなど、ファッションへの関心がより高まった時代でした。
展示風景
80年代に入ると「バブル経済」が起こり、ふんだんに費用をかけた広告文化が花開きます。
ファッションにおいては、
また、「DCブランド」と呼ばれるデザイナーやブランドの個性を強く打ち出した業態が広まっていきました。
他にもブランド志向とは逆をゆく低価格・高品質な商品を販売する「無印良品」の登場や、アイドルのファッションへのあこがれなど、日本のファッションはますます多様化していきました。
ストリートファッションと「Kawaii」
身近なファッションリーダーが登場した時代
バブルが崩壊すると、日本は「失われた10年」へと突入します。
ラフォーレ原宿や旧GAP前に、個性を競い合うような派手な着こなしの若者が集うようになり、スナップ専門誌が創刊されるなど、ファッション業界が提案するスタイルよりも、読者やカリスマ店員といった身近な存在が流行の発信者となっていきます。
展示風景
また、原宿からほど近い渋谷では、小麦色の肌に茶髪といった安室奈美恵のファッションを意識した女子高生「アムラー」が登場します。
センター街や109を中心に、ポケベルやルーズソックス、そして今でも女子高生にとって欠かせない「プリクラ」など、数々の流行が生まれました。
原宿は個性派、渋谷はコギャルというように、街のイメージと密接したスタイルが登場し、若者が都市を活気づけました。
2000年代に突入すると、格差社会やひきこもり、ニートの増加などが社会問題となり、さとり世代と呼ばれる若者も登場します。バブル崩壊後の不況のなかで、若者たちは自分なりの幸せを模索するようになります。
展示風景
ファッションにおいては、2004年に公開された映画『下妻物語』の大ヒット、V系バンドブームも相まって、ゴスロリと呼ばれるスタイルの若者が増加。
また、女性誌が男性からの「モテ」を意識したコンサバファッションを提案したり、海外のファストファッションが台頭するなど、消費サイクルの速度にも変化が起こりました。
「もの」より「こと」を重視する社会
そして未来へ向けられたファッションとは?
2011年、東日本大震災発生の発生は私たちに衝撃をあたえました。未来が不透明な時期がつづいたことにより、社会全体が「サステナブル(持続可能)」を目指すようになります。
「もの」を多く所有するよりも、生活自体の質の向上や共有体験といった「こと」に関心を持つ人が増えはじめたのです。
展示風景
ファッションの作り手たちも、地球環境への影響を意識せずに衣服を制作することが難しくなります。環境汚染や労働力の点で問題視されていたファストファッションも、製造工程の見直し、古着の再利用などさまざまな「サステナブル」な取り組みを進めるようになりました。
2013年には「メルカリ」がサービスを開始し、消費における新たな環境と中古への価値を生み出した。
展示風景
そして世界で未曾有のウイルスが流行する現在。
外出することが少なくなりましたが、リモートワーク向けのスタイルや、多様なマスクの登場、「あつまれ どうぶつの森」での装いなどファッションも絶えず進化しつづけています。
これまでも独自に発展してきた日本のファッション。
未来ではどのように変化し、新たな装いが生まれるのでしょうか。
ファッションを通して、未来の自分たちについて考えるヒントをくれる展覧会です♪
Information
特別展「ファッション イン ジャパン 1945-2020 ―流行と社会」
会場:国立新美術館(東京・六本木)企画展示室 1E
会期:開催中〜2021.09.06(月)
休館日:火曜日
開館時間:10:00-18:00(金・土は10:00-20:
※入場は閉館の30分前まで
展覧会ホームページ:https://fij2020.jp
国立新美術館ホームページ:https://www.nact.jp
※混雑緩和のため、事前予約制(日時指定券)を導入します。詳細はコチラ
Editor | 三輪 穂乃香