展覧会レポート

日比谷図書文化館 特別展 複製芸術家 小村雪岱
~装幀と挿絵に見る二つの精華~

2021.2.4

挿絵画家としての小村雪岱の仕事に注目!

豊富な資料から、雪岱の新たな魅力に迫ります

 

 

日比谷図書文化館にて、「特別展 複製芸術家 小村雪岱 ~装幀と挿絵に見る二つの精華~」が開催中です。

 


複製芸術家 小村雪岱~装幀と挿絵に見る二つの精華~ 展示風景

 

小村雪岱(こむら せったい/1887-1940)は、大正から昭和初期にかけて、挿絵や装幀(そうてい)、舞台美術など、多岐にわたるジャンルで活躍した日本画家です。

 

本展は、日本画家でありながら、装幀家や挿絵画家として活躍した雪岱の仕事に注目!

特に挿絵画家としての仕事について、本展監修者の真田幸治氏の個人コレクションをもとにたっぷりと紹介します。

 

装幀家としてのデビュー作!

 

多くの画家たちが美しい装幀を施したことで有名な、泉鏡花の著書。これらは、“鏡花本”と呼ばれ、現在でも高く評価されています。

 

大正3年、雪岱が装幀を手掛けた『日本橋』は、装幀家としてのデビュー作です。

 

泉鏡花『日本橋』 千章館 大正3(1914)年9月18日

 

「雪岱」という画号も鏡花から授かり、以後、鏡花からほぼすべての装幀を任されたそう!

 

ちなみに『日本橋』を手掛けた時、雪岱は画号を本名である「安並」姓を使用した「安並雪岱」としていました。

しかし、鏡花に「安並雪岱では語呂が悪い」と指摘され、2作目以降は旧姓の「小村」にし「小村雪岱」と名乗るようにしたとか!

芸術家「小村雪岱」は、鏡花によって生み出されたとも言えます。

 

新聞連載小説の挿絵も展示

 

当時、多くの読者の目にとまる新聞連載小説の挿絵は、挿絵画家にとって花形の仕事でした。

 

複製芸術家 小村雪岱~装幀と挿絵に見る二つの精華~ 展示風景

 

本展では新聞連載小説の挿絵を、原画や下図、実際の新聞の切り抜きなどで紹介しています。こちらもぜひ、じっくりご覧ください。

 

珍しい雑誌の広告絵にも注目

 

雪岱がもっとも挿絵画家として活躍したのは、大衆雑誌でした。

雑誌『キング』の創刊とその成功を見た多くの出版社が、次々と雑誌を発行していきます。それにより、雪岱も挿絵画家として活躍の場が広がっていきました。

 

ホドヂン本舗「衿元」「ホドヂン」広告絵 『婦人倶楽部』第20巻14号、大日本雄弁会講談社、昭和14(1939)年12月1日

 

「ホドヂン本舗の広告絵」は挿絵ではなく、雑誌の広告に関わっていたことがわかる珍しい資料です。

 

髷物(まげもの)の挿絵を得意としていた雪岱は、和装の女性を描くことを得意としていました。そのため、当時は「和装の女性=雪岱」という大衆のイメージがあったそう!

ホドヂン本舗は女性誌に出稿した自社の広告に度々、雪岱を採用しました。

 

*髷物:男性がまだ髷を結っていた時代を背景にした小説や芝居、映画などの総称。

 

資生堂独自の書体は雪岱が持ち込んだ!

 

(左から)『資生堂月報』第40号 資生堂、昭和3(1928)年1月1日/『資生堂グラフ』第38号 資生堂、昭和11(1936)年8月25日

 

大正6年(大正5年とも)に、資生堂はデザイン部門として「意匠部」を設立しました。「日本調」のデザインを求めていた当時の経営者、福原信三の想いに応えるかたちで、雪岱は資生堂意匠部に入部しました。

 

雪岱が資生堂に残したもっとも大きな仕事は、現在も続く資生堂独自の書体”資生堂書体”の元となる”雪岱文字”を持ち込んだことだそう!

資生堂和文ロゴタイプの制作で、雪岱は中心的な役割を担いました。

 

 

 

日本画家でありながら、装幀や挿絵などのジャンルで活躍した小村雪岱の仕事を振り返る本展。

同時期に三井記念美術館でも「特別展 小村雪岱スタイル」が開催されます。

お時間に余裕のある方は、2館とも巡ってみてはいかがでしょうか。

 

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本展の招待券を5組10名様にプレゼント!

〆切は2021年2月17日23:59まで!

応募フォーム

 

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展覧会名

日比谷図書文化館 特別展 複製芸術家 小村雪岱
~装幀と挿絵に見る二つの精華~

会期

2021.01.22~2021.03.23 開催終了

会場

千代田区立日比谷図書文化館 1階 特別展示室

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Editor  静居 絵里菜

【編集後記】

 

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