展覧会レポート

没後70年 吉田博展

2021.2.19

「木版画」で世界に挑み続けた画家、吉田博

ダイアナ妃が愛した作品も公開されています

 

東京都美術館にて「没後70年 吉田博展」が開催中です。

 

(左から)瀬戸内海集 帆船 朝/瀬戸内海集 帆船 午前/瀬戸内海集 帆船 午後 いずれも、大正15(1926)年

 

吉田(1876-1950)は、明治、大正、昭和にかけて風景画の第一人者として活躍した画家です。

 

展では、初期から晩年までの木版画を一堂に集めるとともに、版木や写生帖などをあわせて示。吉田が目指した、西洋画の陰影を日本の伝統的な版画技法で表現する「新しい版画」が紹介されています。

 

 

最初期の油彩画、水彩画

 

(左から)渓流 明治43(1910)年 福岡市美術館蔵/上高地の夏 大正4(1915)年 九州大学大学文書館蔵

 

吉田博は、明治9(1876)年に福岡県久留米市に生まれました。

明治27(1894)年に上京し、小山正太郎が主宰する画塾、不同舎に入門。「絵の鬼」と呼ばれるほど、風景写生に明け暮れていたといいます。

 

当時の洋画界は、黒田清輝が率いる白馬会が台頭し、多くの若者が国費でフランスに留学していました。それに反発を感じていた吉田は、明治32(1889)年に自費で友人の画家、中川八郎とアメリカに渡ります。

 

デトロイト美術館で作品が激賞されたことをきっかけに、次々と二人展を開き、自作を売りながら旅を続け、ヨーロッパ渡航も果たしたそう!

帰国後は、太平洋画会や官展を舞台に活躍し続けました。

 

本展では、木版画に出会う前の油彩画や水彩画がプロローグで紹介されています。

 

初めて手掛けた木版画

 

渡邊版 明治神宮の神苑 大正9(1920)年

 

吉田が木版画に出会ったのは、大正9(1920)年のこと。版元の渡邊庄三郎のもとで《明治神宮の神苑》の下絵を手掛けたことがきっかけと言われています。

 

本作は、明治神宮の完成を記念し、版元の渡邊庄三郎が博に下絵を依頼。それに明治天皇が作った詩歌を入れて、募金者へ配られました。

 

このほかにも、《牧場の午後》に始まる7点の渡邊版の木版画を制作しました。

 

世界を魅了した木版画

 

瀬戸内海集 光る海 大正15(1926)年

 

生涯にわたり風景を描き続けた博の木版画は、アメリカをはじめ海外で早くから紹介され、現在も高く評価されています。

 

《光る海》は、『瀬戸内海集』(全9点)の第一作です。タイトルどおり、浮かぶ船よりも海面に焦点をあて、丸ノミの跡で水面のきらめきを巧みに表しています。

 

本作は、ダイアナ妃の執務室の壁にかけられていたことで知られる1点です。

 

 

摺った数は96回!豊かな色彩表現にも注目

 

陽明門 昭和12(1937)年

 

栃木県日光を取材した際に描かれた《陽明門》は、96回も摺りを重ねているそう!

途方もない工程を経て完成した作品です。

 

細かなところまでこだわって表現された本作。木版画であることを忘れてしまうほどです。ぜひ、お近くでご覧ください。

 

60代半ばでも速筆は健在

 

没後70年 吉田博展 展示風景より

 

吉田の写生帖(スケッチブック)は、現在170冊ほど確認されています。多くの写生帖の背には、取材地や題材が記され、作画のもとになったと考えられています。

 

こちらは、従軍画家として中国に滞在していた時に描かれたものです。この頃、吉田はすでに60代前半でしたが、速筆は健在!

若い頃に「絵の鬼」と呼ばれていたことを思い起こさせるスケッチです。

 

 

没後70年を記念した吉田博の大規模な展覧会。

本展は、事前予約不要で観覧可能!

パソコンやスマートフォンから、オンラインチケットによる事前チケットの購入もできます。詳しくは、展覧会公式サイトをご確認ください。

 

 

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〆切は2021年2月28日23:59まで!

応募フォーム

 

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展覧会名

没後70年 吉田博展

会期

2021.01.26~2021.03.28 開催終了

会場

東京都美術館

※新型コロナウイルス感染症対策が実施されています。詳しくは美術館公式サイトをご確認ください。

※会期中、一部展示替えがあります。

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Editor  静居 絵里菜

【編集後記】

96回も摺った《陽明門》は、版画であることを忘れてしまうほど! 細か色彩表現が美しい作品でした。

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