展覧会レポート
2021.2.19
日本画の巨匠・川合玉堂を一堂に展示
美しい日本の風景に出会う
山種美術館にて「川合玉堂 ―山﨑種二が愛した日本画の巨匠―」が開催中です。
展示風景
川合玉堂(かわい ぎょくどう)は、日本の美しい自然や風景を描いた画家です。
本展では、初期の明治期から戦後の作品まで、名品の数々とともに、玉堂の画家としての足跡をたどります。
また、親交を深めた山種美術館創立者・山﨑種二、玉堂の師である望月玉泉や橋本雅邦、弟子の児玉希望など、玉堂をめぐる人々もあわせて紹介します。
玉堂芸術の確立 京都~東京時代
愛知に生まれ、岐阜に育った玉堂は、14歳で京都の画家・望月玉泉(もちづき ぎょくせん)のもとで日本画を学び始めました。そしてその3年後の1890(明治28)年に、画壇デビューを果たします。
玉堂は、風景画のなかに自然とともに生きる人々の姿をおりまぜた、おもむきのある独自のスタイルが特徴です。
川合玉堂《松籟涛声》1929(昭和4)年 個人蔵
《松籟涛声(しょうらいとうせい)》は、1930年にイタリアで開催された「ローマ日本美術展覧会」に、玉堂が出品した作品のひとつです。
臨場感のある浜辺のようすは、今にも波の音が聞こえてきそうです。
イタリアで公開された記念すべき本作は、特別公開となっていますのでお見逃しなく!
奥多摩時代
1944年、玉堂は戦火を避け、西多摩郡三田村御岳(現・青梅市御岳)に疎開。晩年までこの地で過ごしました。
奥多摩は、玉堂が20代の頃からたびたび写生に訪れていた場所でした。
豊かな自然の中に身を置き、制作を続けた玉堂のまなざしは、そこに暮らす人々の日常に向けられるようになりました。
川合玉堂《朝晴》1946(昭和21)年
終戦後再開された日展で、玉堂は審査員を務めます。その際に出品されたのが《朝晴》でした。
手前の木や岩がはっきりと描かれているのに対し、後方の斜面はぼんやりとかすんでいるように表現されています。
晩年の玉堂の作品は、おおらかでどこか懐かしい、自然とともに生きる人々の生活がのびのびと描き出されています。
玉堂と種二の関係
温厚で穏やかな性格の玉堂は、多くの人にしたわれました。山種美術館を設立した山﨑種二もそのひとりです。
種二は「絵は人柄である」という信念のもと、画家と直接関わり作品をコレクションしましたが、玉堂ともとても親しく交流しました。
川合玉堂《松上双鶴》1942(昭和17)年
《松上双鶴》は、山﨑種二の長女の結婚祝いのために描かれた作品です。
松、そして鶴のつがいというテーマはお祝いにふさわしく、立っている鶴が新郎、羽づくろいをしている鶴が新婦だと考えられています。
また、展示室では玉堂の師である望月玉泉や橋本雅邦(はしもと がほう)から、孫弟子の奥田元宋の作品まで!玉堂の画家たちとの幅広い交流を垣間見ることができますよ。
京都で学んだ円山四条派の基礎の上に、狩野派的な様式を取り入れることで、独自のスタイルを確立した川合玉堂。
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〆切は2021年3月7日23:59まで!
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2021.02.06~2021.04.04
開催終了
山種美術館
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平日 10時~16時(1時間短縮)/ 土・日・祝日 10時~17時(通常開館)
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ご来館当日、美術館窓口でチケットをご購入いただけます。(混雑時は入場をお待ちいただく場合があります)
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Editor | 三輪 穂乃香
【編集後記】