小杉放庵未醒《母子採果》1926(大正 15)年頃
絹本着色 カンヴァス/油彩
小杉放菴記念日光美術館蔵
小杉未醒 《降魔(習作)》 1907(明治 40)年頃 カンヴァス/油彩
小杉放菴記念日光美術館蔵
小杉未醒《瓢中駒》 1918(大正 7)年頃
小杉放菴記念日光美術館蔵
小杉未醒《飲馬》 1914(大正 3)年
小杉放菴記念日光美術館蔵
小杉未醒《東照宮》1900 年代
小杉放菴記念日光美術館蔵
小杉放菴は、その生涯に本名や雅号が何度も変わっていることをご存知でしょうか。1881(明治14)年に生まれた時の本名は「小杉国太郎」ですが、3歳から20歳までは他家に養子にいっており「国府浜(こうはま)国太郎」といった時代もありました。この間に師・五百城文哉(いおき ぶんさい)から〈台東〉という雅号をつけてもらうも、これはあまり使わなかったようです。
1901(明治34)年5月に小杉家に復籍した頃、自ら雅号ʬ〈未醒(みせい)〉を名乗り、本格的に画家としての活動を始めました。その後、1923(大正12)年頃に〈放庵〉、1933(昭和8)年末に〈放菴〉へと雅号を変えていきました。〈放庵〉に変えてすぐの頃は、5年間ほど〈放庵未醒〉と署名していた時期もありました。
今回の展覧会は、小杉放菴が画家として活動を始め、画壇での地位を確立した〈未醒〉時代、20歳から47歳までにあたる1901~1928年の作品に注目するものです。
1904(明治37)年、日露戦争に報道画家として従軍し、戦地の様子を伝えるスケッチが雑誌に頻繁に掲載され、「小杉未醒」の名が広く知られていきました。そして1910(明治43)年からの文部省主催美術展[文展]での連続受賞、1914(大正3)年の横山大観との日本美術院再興、1922(大正11)年の春陽会設立と、その画業における重要な出来事が、この〈未醒〉時代に多くありました。
この時代を再考することは、小杉放菴の画業を研究するうえで、重要な意義を持つと考えます。
さらに本展では、令和元年度に日光市が購入した油彩画《降魔(習作)》を始め、近年発見された、〈未醒〉を名乗り始めて間もない時期の水彩画が初公開となります。《降魔(習作)》は、1907(明治40)年の東京勧業博覧会に出品された油彩画の習作と考えられ、出品作自体は所在不明になっているため、本作は未醒時代初期の作風を知ることが出来る貴重なものです。これら、従来等閑視されていた時代の作品の出現は、小杉放菴研究に大きく寄与することになると期待しています。
〈未醒〉時代の小杉放菴
2020.10.31~2020.12.20
開催終了
9:30〜17:00(入館は16:30まで)
毎週月曜日(祝日は開館し、その翌日を休館)
一般730(650)円、大学生510(460)円、高校生以下無料
※( )内は20名以上の団体割引料金
※身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳の交付を受けた方とその付き添いの方1名は無料
※第3日曜日「家庭の日」(11月15日、12月20日)は、大学生は無料
小杉放菴記念日光美術館
〒321-1431 日光市山内2388-3
東武日光駅、JR日光駅から、清滝・細尾、中禅寺・湯元、西参道(東照宮)方面行き東武バス5分、神橋停留所より徒歩約3分
公益財団法人小杉放菴記念日光美術館/日光市/日光市教育委員会/下野新聞社