Be-dan
2021.3.1
きらきら輝くガラスに、繊細なカットの模様が印象的な江戸切子。
1度は買ってみたいな、と思う人も多いのではないでしょうか?
今月のBe-danは、江戸切子の職人で、篠崎硝子工芸所の社長・篠崎英明さんにインタビュー!
伝統工芸士の認定を受けている篠崎さんは、江戸切子協同組合の副理事長も務めています。
篠崎英明さん ※撮影時のみ、マスクを外していただきました。
第1回目では、篠崎硝子工芸所が作っているもの、「江戸切子」という言葉がメジャーではなかった頃のことなどを、お聞きしました!
―篠崎さんご自身、そして先代のお父さまも、伝統工芸士に認定された江戸切子職人さんなのですね!
はい、父の跡を継いで2代目です。家に住み込みの職人が何人もいるような環境で育ちました。
当時は反発もしていましたが、大学卒業後に家業に入りました。でも何年も続けていくにつれて「一生懸命頑張ろう」という思いがどんどん強まっていきました。うちの会社が、誇りを持てる良い仕事をしていたからだと思います。
―具体的にどんなものを作っていたのですか? 江戸切子というと、グラスやおちょこが思い浮かびますが・・・。
バブル前は、花瓶などの大きいものの需要が多かったですね。そういうものが好かれていた時代でした。大きい分だけ重いので、作業中ずっと支えていると肩の負担も相当です。しかも、昔ながらの道具を使っていた時代なので、今よりももっと重労働でした。
―確かに大変そうです!
手の皮が薄くなってしまって「ご飯茶碗が熱くて持てない」、そんな職人もいましたよ。うちはもともと設備投資に力を入れていて、一般家庭にもあまり普及していなかった頃から、工房にクーラーを設置していましたが、それでもかなり大変だったと思います。
でも、当時は今くらい細かなカットはあまりしていませんでした。もっと大ぶりで・・・そもそもあの頃は「江戸切子」という言葉が普及していなかったんです。
―え、そうなんですか!? 比較的新しい言葉だったとは、意外です。
「カットグラス」とか、横文字の呼び方が好まれていましたね。「江戸切子」として売り出されるようになったのは、バブル後にデパートの物産展が盛んになった頃でしょうか。
うちはバブル後、高島屋さんとの直接取引を始めて、外商の販売会に出させていただけることになりまして。それまで以上に高品質の製品を作り続けることができました。ラッキーですが、父の努力ももちろんあったと思います。
―デパートの外商・・・豪華できらびやかなイメージです。
はい。なのでその分、求められるクオリティも高くなります。30年以上そうして続けてきましたが、値段ではなく、技術と信用度で売っていると思っています。品質を保つために最善の神経を使っていますね。
たとえば、被せガラスの切子は、同じ青でも、ひとつひとつ微妙に青色が違ってしまいます。それでもなるべく品質を揃えなくてはいけないので、同じ色味に見えるものを厳選したり……。そういうのが、体にしみついています。
―30年以上も!
デパートの外商の販売会は、開催場所も扱われている高級品も、とにかくすごいんです。
「全国伝統的工芸品公募展展示会」という大会があって、2020年に出品した作品も、「販売会に出しても恥ずかしくないものを」という気持ちで作ったものです。
―ハイレベルな世界ですね。
ただ、これはあくまでうちの会社の話です。
江戸切子職人は、工房によって仕事内容が違いますから。別のところの職人さんは、また全然違うお話をしてくれると思いますよ。
お話いただいた内容に早速圧倒されてしまいました……! 「江戸切子」という呼び方がメジャーじゃない時代があったなんてびっくりですよね。
第2回では、さらに切子職人さんのお仕事について詳しく伺っていきます。お楽しみに!
(第2回につづく)
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Editor | 三輪 穂乃香
OBIKAKE編集部所属。
Writer | ニシ
美術と日本文化に癒しを求めるライター。記事とシナリオの間で反復横跳びしながら、何らかの文章を日々生産している。