array(1) { [0]=> int(15661) } 没後30年記念 笠松紫浪 ―最後の新版画/展覧会レポート | OBIKAKE(おびかけ)

展覧会レポート

没後30年記念 笠松紫浪 ―最後の新版画

2021.2.22

最後の新版画家・笠松紫浪の画業を紹介

注目の新版画を深く知る展覧会

 

太田記念美術館にて「没後30年記念 笠松紫浪 ―最後の新版画」が開催中です。

 

没後30年記念 笠松紫浪 ―最後の新版画 展示風景より(前期展示)

 

笠松紫浪(かさまつ しろう/1898-1991)は、大正から昭和にかけて活躍した木版画家です。

美人画の名手、鏑木清方に入門し、日本画家の道を志した紫浪。師匠の清方の勧めで、大正8~9年(1919~20)に、渡邊木版画舗より5点の「新版画」を刊行したのをきっかけに、新版画家となりました。

 

本展では、紫浪の画業の全貌を紹介。東京のモダンな街並みや、江戸の情緒を残した田舎の風景などの木版画が、前後期に分けて約130点展示されます。

 

新版画とは?

 

新版画とは、大正から昭和にかけて、江戸時代の浮世絵版画同様に、絵師、彫師、摺師の共同作業によって制作された木版画のことを指します。

この新版画は、版元である渡邊庄三郎が提唱し、川瀬巴水や吉田博、そして本展で紹介される笠松紫浪などの絵師たちによって、次々と生み出されました。

 

 

青嵐 大正8年(1919) 渡邊木版美術画舗蔵(前期展示)

 

《青嵐》は、渡邊木版画舗から刊行された最初期の新版画の一つです。新版画に本格的に取り組むようになった12年後の画風に比べると、スケッチの筆の動きをそのまま生かしたような、荒い線が特徴的です。

 

作風はまだ定まっておらず、20歳をすぎたばかりの紫浪が、いろいろと試している様子がわかる作品です。

 

紫浪と芸艸堂

 

没後30年記念 笠松紫浪 ―最後の新版画 展示風景より(前期展示)

 

紫浪は、昭和20年(1945)4月に、太平洋戦争の戦火を避けるため、長野県に疎開。戦後もそのまま長野で暮らしていました。

 

昭和23年(1948)、50歳の時に渡邊庄三郎の甥である金次郎から、新版画制作の依頼を受け、昭和25年(1950)までに8点の作品を制作しました。

しかし、金次郎版の制作の際、渡邊庄三郎の許可が得られていなかったため、販売を差し止めされてしまったそう!

この件がきっかけとなり、紫浪と渡邊庄三郎の関係は疎遠になったといわれています。

 

その後の昭和27年(1952)、京都の版元である芸艸堂(うんそうどう)から新版画の制作の依頼を受けます。

芸艸堂版は、紫浪が61歳になる昭和34年(1959)まで、約100点制作されました。

 

 

(左から)日光神橋 昭和27年(1952)見本摺 芸艸堂蔵/日光神橋 骨摺(校合摺)昭和27年(1952)芸艸堂蔵(前期展示)

 

芸艸堂版では、日光や箱根、松島などを中心とした日本各地の名所が多く描かれています。

 

写真右の《日光神橋》は、黒い線(りんかく線)だけを摺った校合摺(きょうごうずり)と呼ばれるもの。この校合摺を使って、色版を制作していきます。芸艸堂ではこれを「骨摺(こつずり)」と呼んでいたそうです!

 

貴重な原画も展示!

 

箱根湯本春宵 原画(紙本着色)昭和28年(1953) 芸艸堂蔵(前期展示)

 

こちらは、紫浪直筆の《箱根湯本の春宵》の原画です。

構図や色合いなどはほとんど、下の見本摺と一致しますが、桜の花や道の水たまりなどを細かく比較してみると、形が違っていたり、より鮮明に摺り表されていたりしています!

 

箱根湯本春宵 見本摺 昭和28年(1953) 芸艸堂蔵(前期展示)

 

絵師と彫師、摺師の3人の職人が、よく話し合っているようすがうかがえる作品です。

 

紫浪が自分で彫りの作業を行った作品も!

 

 朝霧をついて 昭和12年(1937) 渡邊木版美術画舗蔵(前期展示)

 

本作には、「紫浪自刻」という「紫浪が自ら彫った」ことを示す落款(*)があります。

 

紫浪は昭和30年(1955)から、自分で彫り、また自分で摺った版画を発表していますが、本作はそれよりも17~18年前に自ら彫りの作業を行っていたことを示す、貴重な作品です。

 

落款(らっかん):書き上げた書や絵画に、筆者自身でその姓名・号、雅号などの印を押すこと。

 

戦後の東京を描いた新版画

 

東京タワー 初摺 昭和34年(1959) 芸艸堂蔵(前期展示)

 

東京タワーの愛称で親しまれている、東京都港区芝公園にある総合電波塔は、昭和33年(1958)12月に竣工しました。

本作は、その翌年に制作されたものなので、出来たばかりの東京タワーを画題として選んだことがわかります。

 

戦後の東京の今を描いたと同時に、彫師や摺師との共同作業である新版画としては、紫浪にとって最後の年に制作された作品といわれています。

紫浪は昭和35年(1960)以降は、芸艸堂から刊行することなく、自分で描き、自分で彫り、さらに自分で摺った作品のみ継続的に発表していたといいます。

 

 

新版画の初期から関わり、戦後になっても精力的に版画を制作し続けた笠松紫浪を紹介する本展。

東京都美術館でも、「没後70年 吉田博展」が開催中です。

お時間に余裕のある方は、紫浪と吉田博の版画を見比べてみてはいかがでしょうか?

 

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展覧会名

没後30年記念 笠松紫浪 ―最後の新版画

会期

2021.02.02~2021.03.28 開催終了

会場

太田記念美術館

新型コロナウイルス感染症対策が実施されています。詳しくは美術館公式サイトをご確認ください。

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Editor  静居 絵里菜

【編集後記】

 

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