array(1) { [0]=> int(16586) } 電線絵画展 ―小林清親から山口晃まで―/展覧会レポート | OBIKAKE(おびかけ)

展覧会レポート

電線絵画展 ―小林清親から山口晃まで―

2021.3.25

近代都市のシンボルである「電信柱」に注目した展覧会!

今はジャマ者扱いの「電線」の良さがわかるかも?

 

練馬区立美術館にて「電線絵画展 ―小林清親から山口晃まで―」が開催中です。

 


電線絵画展 ―小林清親から山口晃まで― 展示風景より

 

私たちの生活の中で見慣れた電信柱から伸びる電線は、美的景観を損ねるものとして、電柱の地中化が進められています。

 

日本初の電信柱は、ペリー提督がもたらした電信機の実験によって設置されたと言われています。この実験は、嘉永7年(安政元年・1854)2月24日に横浜で行われました。

 

その後、明治2年(1869)12月に、東京築地鉄砲州の東京運上所内に電信局が開局します。それに伴い、横浜―東京間で電信が開通されたことにより、電信柱と電線が一般の人々にもなじみ深いものになりました。

 

本展は、明治初期から現代に至るまでの電信、電線が果たした役割と各時代ごとに絵画化された意図を検証し、東京の姿を読み解くユニークな試みの展覧会です。

 

油彩画や日本画、版画、立体作品など約130点の作品で、近代都市の新た視点を紹介します。

 

 

日本のシンボル富士山に電信柱!

 

 

小林清親《従箱根山中冨嶽眺望》明治13年(1880) 千葉市美術館蔵

 

小林清親(こばやし きよちか)は、明治時代の浮世絵師で、 輪郭線をあえて描かず、光と影を表現する「光線画」を発案した人物として知られています。

 

日本のシンボルである富士山の前に電信柱を堂々と描く、大胆な構図が目を惹く本作。手前には江戸時代の旅人をイメージさせる人物が描かれています。

 

電信柱と江戸時代の旅の装いは少しだけ違和感がありますが、明治の初めは本作のような風景がよく見られていたそうです。

 

 

日本初の電動エレベーター!

 

三代歌川国貞《凌雲閣機絵双六》明治23年(1890)電気の史料館蔵

 

浅草凌雲閣(りょううんかく)は、明治23年(1890)11月10日開業した、アミューズメント施設です。

 

高さは66mで、各階には店舗が立ち並び、展望スペースには30倍の望遠鏡が設置されていたそう! 当時の日本で最も高い建造物でした。

 

中でも最大の売りは、日本初の電動エレベーターで、それまで電灯にしか使われていなかった電力の動力用供給の始まりを象徴するものでした。

 

残念ながら凌雲閣は、大正12年(1923)の関東大震災で半壊し、解体されてしまいました。現在は、その跡地に記念碑が立っています。

 

 

電線を語る上で外せない! 碍子とは?

 

(手前)玉村行久斗《驟雨と碍子(紅蜀葵)》昭和18年(1943) 京都国立近代美術館蔵

 

碍子(がいし)とは、電柱に電線を固定するための器具です。その素材の多くは、ガラス製の外国製品や近年のポリマー製素材を除いてすべて磁器で作られています。

 

ガラスや磁器などの電気を通さない素材で作られる理由は、電線を直接電柱に取り付けると、電線から地面に電気が漏れてしまい、送電ができなくなってしまうため。

碍子を使うことで、電気を漏らさずに電線を支えることができる仕組みになっています。

 

本展では、碍子に注目した唯一の絵画作品と言われている、玉村行久斗(たまむら ほくと)《驟雨と碍子》を展示。そのほかにも、バリエーション豊かな碍子が紹介されています!

 

 

 

スッキリと見通しの良い、青空が広がる街並みも魅力的ですが、電線が張り巡らされたノスタルジックな風景も、都市景観の魅力であることを教えてくれる展覧会でした。

 

 

電線絵画展 ―小林清親から山口晃まで― 展示風景より

 

 

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展覧会名

電線絵画展 ―小林清親から山口晃まで―

会期

2021.02.28〜2021.04.18

会場

練馬区立美術館

※新型コロナウイルス感染予防対策が実施されています。来館される際は、必ず公式サイトをご確認ください。

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Editor  静居 絵里菜

【編集後記】

電線に関するさまざまな作品が観られる、ユニークな展覧会でした! 見ごたえバツグンです♪

お近くの方はぜひ、足を運んでみてください。

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