展覧会レポート

開館30周年記念 荒井寿一コレクション
川瀬巴水展

2021.4.28

風景版画以外の巴水作品を多く展示!

鏑木清方の門下生を思わせる美人画にも注目です

 

 

平塚市美術館にて、「開館30周年記念 荒井寿一コレクション 川瀬巴水展」が開催中です。

 


開館30周年記念 荒井寿一コレクション 川瀬巴水展 展示風景

 

川瀬巴水(かわせ はすい/1883-1957)は、大正から昭和にかけて風景版画を数多く制作した版画家です。

 

本展では、川瀬巴水の初期から晩年までの版画作品のほか、これまで紹介される機会の少なかった本の装丁雑誌の表紙挿絵口絵絵はがきなどのグラフィックデザインを展示。

木版画のみならず、幅広いジャンルで活躍した巴水の画業が紹介されます。

 

なお、本展は昨年、新型コロナウイルス感染症のために中止となった「川瀬巴水展」を、荒井寿一コレクションのみ(以下、荒井コレクション)で再構成した展覧会です。

荒井コレクションの充実した巴水作品にも注目です!

 

 

最初期の作品

 

巴水は幼少期から絵に関心を寄せ、単発的に学んでいましたが、家業を継ぐべき長男であったため、本格的に学ぶことができませんでした。

 

そんな巴水に転機が訪れたのは、明治41(1908)年のころ。

父の事業が失敗し、傾いた家業を支えるほどの商才がなかったことから、代わりに妹婿が継ぐことになったのです。

25歳でやっと憧れていた絵の道へ飛び込んだ巴水ですが、画家としてのスタートは遅いものでした。

 

(左から)塩原しほがま 大正7(1918)年秋/塩原畑下り 大正7(1918)年秋/塩原おかね路 大正7(1918)年秋 いずれも、荒井寿一コレクション

 

妹婿に家業を任せ、画家としての人生を歩み始めた巴水は、顔なじみであった美人画の名手・鏑木清方に入門を希望します。

当時、日本画の修業は10代から始めることが一般的とされていました。そのため、清方からは「日本画の修業を始めるには遅すぎる」と、断られてしまいます。

 

代わりに清方からは、洋画を学ぶことを勧められ、葵橋洋画研究所で学びます。

そこで写生(*)に励んだ巴水ですが、油絵具になじめず、27歳の時に再び清方へ入門を相談。ようやく弟子入りが許可され、まもなく「巴水」をもらいます。

 

*写生(しゃせい):スケッチのこと。

 


塩原しほがま 大正7(1918)年秋 荒井寿一コレクション

 

その後、同門の伊東深水の《近江八景》の連作に影響を受け、本格的な木版画の制作を始めます。

版元・渡邊庄三郎と協力し、大正7(1918)年に塩原(現在の栃木県北部)の写生にもとづく三部作を発表しました。

 

記念すべき木版画の第一作に塩原を選んだ理由は、巴水の伯母夫婦がこの地で土産物屋を営んでいたからだそう。

幼少期病弱であった巴水は、伯母夫婦によく預けられており、塩原は慣れ親しんだ場所だったといいます。

 

 

関東大震災で焼失した大切な写生帖

 

旅みやげ第二集 金沢下本多町 大正10(1921)年9月2日 荒井寿一コレクション

 

巴水は以後、約40年にわたって日本各地を写生旅行し、その地に暮らす人々の生活や四季折々の風景を描いた作品を多く生み出しました。

 

旅先で写生をし、帰京後に版画制作に取り組むという生活を繰り返していた巴水。その結果、大正12(1923)年の夏までに100点を超える木版画を刊行しました。

 


(左から)旅みやげ第三集 大坂高津 大正13(1924)年/日本風景選集 岡山内山下 大正12(1923)年 いずれも、荒井寿一コレクション

 

しかし、大正12(1923)年9月1日に起きた関東大震災により、清方に入門して以来描き溜めていた大量の写生帖を、自宅とともに焼失してしまいます。

 

もともと、画家としてのスタートが遅かった巴水。その遅れを取り戻そうと熱心に写生に取り組んでいたと言います。その努力の結果でもある写生帖をすべて失い、失意の底にいた巴水を励ましたのは、版元の渡邊庄三郎でした。

 

渡邊のもとにあった巴水の版画関連のほとんどが焼失した中で、《岡山内山下》の版木は幸いにも焼け残っていたそう!

本作は、震災後の復興第一作となった貴重な作品です。

 

 

風景版画以外の巴水作品も展示!

 

本展に出品されている荒井コレクションは、本や雑誌、絵はがきなど、風景版画以外の巴水作品を多く含んでいます。

 


ゆく春 大正14(1925)年春 荒井寿一コレクション

 

巴水の美人画は、大正14(1925)年の《ゆく春》のみが知られていますが、出版物を広く見渡すと、清方の門下らしく多くの美人画の作例が多くあることがわかります!

 

(左から)『すがた 第10巻12月号』表紙 大正13(1924)年12月/『すがた 第14巻4月号』表紙 昭和3(1928)年4月 いずれも、荒井寿一コレクション

 

『すがた』という大正時代の女性誌には、当時流行した耳隠しの髪型をしたモダンな女性が描かれています。このことから、巴水は同時代の風俗にも関心をよせていたのでは、と考えられています。

 

(奥から)『TOKYO』表見返し 昭和9(1934)年10月20日/『SHINTO and its ARCHITECTURE』挿絵 亀戸天満宮 昭和30(1955)年(再販) いずれも、荒井寿一コレクション

 

また1930年代、巴水の作品は海外で高く評価され始め、外国向けの出版物に起用されるようになりました。

 

東京市(現・東京都)の英文の行政概要『TOKYO』の見返しにも、版画が使われました。

巴水の作品は、日本のイメージを効果的に発信する上で大きな期待が寄せられていたことがわかる展示になっています。

 

 

 

「版」という表現手段を通じて生み出された、幅広い巴水作品を楽しめる本展。

今年は東京都美術館で「没後70年 吉田博展」が開催されたこともあり、「新版画」が注目されています。

気軽に旅行が楽しめない今だからこそ、日本各地の詩情豊かな川瀬巴水の木版画に触れてみてはいかがでしょうか。

 

新型コロナウイルス感染症対策ため、中止となった「ギャラリートーク」は、オンラインでご覧いただけます!

 

「開館30周年記念 荒井寿一コレクション 川瀬巴水展」コレクター・荒井氏によるギャラリートーク(外部リンク)

 

おうち時間にいかがでしょうか?

 

 

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〆切は2021年5月11日23:59まで!

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展覧会名

開館30周年記念 荒井寿一コレクション
川瀬巴水展

会期

2021.04.24~2021.06.13 開催終了

会場

平塚市美術館

※新型コロナウイルス感染症対策が実施されています。詳しく美術館公式サイトをご確認ください。

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Editor  静居 絵里菜

【編集後記】

挿絵や絵はがきなど幅広い活動を知ることができる展覧会でした♪

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