Be-dan
2019.11.4
東京・広尾の閑静な住宅街にある「山種美術館」。
モダンで落ち着いた雰囲気の中、日本を代表する貴重な近代日本画作品がずらりと並ぶ展示室には、1年を通して熱心なリピーターが通い詰めます。
そこで、今回は同館の館長、山﨑妙子さんにインタビューさせていただきました! 第1回は、山種美術館の歴史を詳しくお聞きします。
―まずは、山種美術館の特徴や、開館したきっかけなどを教えていただけますか?
当館は明治時代から現在までの近代・現代日本画を中心とした、日本画専門の美術館です。昭和41年(1966年)に私の祖父・山﨑種二が、それまで集めていた日本画のコレクションを、広く一般の美術ファンに公開するために開館しました。
―なぜ、近代日本画に力を入れたコレクションなのでしょうか?
祖父がとにかく近代の日本画が好きだったんです。古い作品ではなく、同時代の画家の「本物」を収集することにこだわっていました。戦前から、横山大観や川合玉堂といった画家と、親しくお付き合いを重ねる中で、画家から直接作品を購入するようになり、たくさんの名品を収集することができたんです。
―「パトロン」のような形で画家を応援されていたのですか?
戦前の大コレクターのように、画家に月いくらというように、生活費を渡してまるごと画家活動を支援するような形ではなかったようです。自分の美意識にかなった作品を継続して購入したり、お食事にご招待したりと、家族ぐるみで親しくお付き合いしながら、画家を応援するスタイルでした。存命中、祖父が「絵は人柄である」とよく言っていたのを覚えています。
―美術館を開館しようと思われたきっかけはあるのでしょうか?
美術館を作る構想自体は戦前から漠然と持っていたようですが、きっかけは、とくに親しかった横山大観から、「金儲けも結構だが、このへんでひとつ世の中のためになるようなことをやっておいたらどうですか」と言われたことにあるようです。
そこで、それまで集めた美術品を内々で楽しむのではなく、一人でも多くの方々に観ていただき、日本画の魅力をもっと多くの方に知っていただこうという想いで美術館の創立を決意しました。
-2019年はちょうど広尾に移転して10周年ですね。山﨑館長はいつ館長に就任されたのでしょうか?
私が山種美術館の館長になったのは2007年でした。祖父・種二、父・富治の後を継いで、3代目にあたります。千代田区三番町から、現在の広尾に美術館を移転する準備作業に入るために、高齢だった父から館長を引き継ぎました。
祖父・父・娘と家族三代にわたって、山﨑家の貴重な日本画コレクションを大切に守り継ぎ、幅広いファンに作品を公開してきた山種美術館。2016年には開館50周年を迎え、ますますファンを増やし続けています。
次回は、現館長・山﨑妙子さんがなぜ美術館の館長になることを決意したのか、率直な思いをお聞きしてみました。来週もお楽しみに!
(第2回につづく)
information
【山種美術館 広尾開館10周年記念特別展】
東山魁夷の青・奥田元宋の赤―色で読み解く日本画―
会場:山種美術館
会期:2019.11.02〜12.22
展覧会詳細ページ:https://obikake.com/exhibition/272-2/
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Writer | 齋藤 久嗣
脱サラして満3年が経過。現在は主夫業とアート系のブロガー&ライターとして活動中。
首都圏を中心にほぼ毎日どこかの展覧会に出没中。日本美術が特に好みです!(Twitter:@karub_imalive)
Editor | 三輪 穂乃香
OBIKAKE編集部所属。
和菓子が美味しい美術館。最高です。