Be-dan
2020.2.28
今話題の「ハマスホイとデンマーク絵画」展の企画監修を務められた、山口県立美術館の萬屋健司学芸員。デンマークとのゆかりは、大阪外国語大学入学時がきっかけだったそうです。
第2回では、萬屋さんがなぜデンマーク美術やハマスホイに興味を持ったのか、聞いてみました!
(第1回はコチラ)
「ハマスホイとデンマーク絵画」展示風景
―萬屋さんがデンマークにハマったそもそものきっかけを教えていただけますか?
よく聞かれますが、実はあまり特別な理由はないんです。大学ではマイナーな外国語を勉強したいと思っていて、目をつけたのがデンマーク語だったんです。
―なぜデンマーク語だったのでしょうか!?
大学受験の際に国立大学を志望していて。その中からマイナーな言語が学べるのは、東京外国語大学か大阪外国語大学しかないんですね。私は長崎の田舎で育ったもので、東京はちょっと怖くて行けないなと思って(笑)。それで、大阪外大の中から選んだ時、いくつかの候補の中から、デンマーク語を見つけたんです。デンマーク語とスウェーデン語とノルウェー語は似ている、と確か当時のパンフレットに書いてあったと思うのですが、どれか一つ完璧にマスターしたら他の言語もわかるようになるかもしれない・・・これ、いいじゃん! と思ってデンマーク語にしました。
―なるほど! そのあと、なぜハマスホイを研究してみようと思われたのですか?
デンマークに留学中、ふらっと美術館に入った時にかけてあったハマスホイの絵が少し気になったんです。それで、ちょっと調べてみようと思って西洋美術について書かれた日本語の文献を当たったら、ハマスホイのハの字もなかったんですね。それどころか、デンマーク美術自体が全く日本で研究されていなかったんです! だったらもう、自分で調べるしかない! ということで、当時美術についてはまったくの素人だったのですが、大阪大学の大学院へ進学して西洋美術史を勉強しました。
―2度目のデンマーク留学ではどういった研究をされていたんですか?
ハマスホイの研究ですね。デンマークで大学の授業に出つつ、それ以外の時間は図書館と美術館のアーカイブに行って、昔の新聞を調べたり、ハマスホイの手紙やハマスホイの母親がつけていたスクラップブックなどを調査していました。日本では得られない1次資料などをまとめたり、データベースにしたりとかそういう作業が多かったですね。
ヴィルヘルム・ハマスホイ《背を向けた若い女性のいる室内》1903−04年 ラナス美術館
―かなり地道に研究をされていたのですね。ゼロの状態から学芸員を目指すのはプレッシャーもありそうです。
はい、留学したからといって学芸員になれるわけではないですからね。向こうで研究して、業績を積んで、ようやく日本で研究している院生の方々と同じ土俵に立って、そこから就職試験というハードルがありました。なので、デンマークでなにか成果を上げなきゃいけない! というプレッシャーはとてもありました。デンマーク語もわかるようになってはいましたけど、将来への不安は常にありました。結構苦学生でした(笑)。
マイナーな言語を勉強したかった、という素朴な動機からデンマーク語と出会い、デンマークでは偶然にハマスホイの絵と出会ったという萬屋学芸員。人生は偶然の連続によって成り立っているのかもしれませんね。次回は、デンマーク文化の重要なキーワード「ヒュゲ」について語ってもらいます!次回もお楽しみに!
(第3回につづく)
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Writer | 齋藤 久嗣
脱サラして満3年が経過。現在は主夫業とアート系のブロガー&ライターとして活動中。
首都圏を中心にほぼ毎日どこかの展覧会に出没中。日本美術が特に好みです!(Twitter:@karub_imalive)
Editor | 三輪 穂乃香
OBIKAKE編集部所属。
「ハマスホイとデンマーク絵画」取材レポートはコチラ!